駆け出せ、駆け出せ

 

 

 

 

 

木の葉高校に通う春野サクラは現在高校3年生で今年大学受験である。
しかし、彼女は高校でも学年トップクラス(というか学年1番)であり受験に関しては何の問題もない。
担任の海野イルカも「お前が行きたいところに行けば良い。絶対受かるから」と太鼓判を押す程だ。
 
しかし、当のサクラは高校1年からずっと塾に通っている。
正直、彼女は自分自身でも塾に行く必要はないと考えている。
 
だが、行かなくてはいけない理由があるのだ。
 
 
 
今日のサクラの塾の授業は数学。
ここの塾は個人指導なので、講師1人に対して生徒は3人の授業体系が通常だ。
サクラは指定された机に座り、授業の準備をしていた。
 
そして耳を澄ませる。
ペタペタと気だるげな足音をさせて誰かが歩いて来る。
 
(来た!)
 
途端に鼓動が速くなるのをサクラは感じた。
ひょこっと顔を出したのは怪しげな男だった。
 
「こんにちは、サクラ」
「こんにちは」
「それじゃあ授業始めようか。まずは宿題チェックだね」
「はい」
 
サクラは宿題をしたノートのページを開いて男に見せる。
男が顔を近付けてきてノートを覗き込む。
サクラはドキリと鼓動が余計に速くなるのを感じた。
 
(相変わらずの煙草の匂いだ)
 
男は相当なヘビースモーカーで、授業の合間を縫って必ず教室のベランダで吸っている。
 
「うん、全部合ってるし大丈夫だね。じゃあ今日の授業を始めようか」
「はい」
 
サクラは顔が赤くなっていないかハラハラしながら少し俯きがちに返事をした。
 
 
サクラが塾に通う理由。
 
 
 
それがこの男だ。
 
 
 
 
 
男の名前ははたけカカシ。
名前も怪しいが外見はもっと怪しい。
 
左目は常に髪の毛で隠され、過敏症の埃アレルギーらしく、年中マスクをつけている。
髪の色は銀髪で、見え隠れする左目は右目と少し色が違う。
 
顔の3分の2が見えないのにも関わらず、サクラはカカシは絶対に格好良いと確信していた。
だが、カカシの素顔を見た者はほとんどおらず、真相は分からない。
 
 
 
 
サクラは手を止めることなく黙々と問題を解いていたが、カカシがサクラの座る
椅子の横にある丸椅子に座るとカカシを呼んだ。
 
「先生」
「ん?」
「ここ、分からないです」
「ん〜、これはな、まずxの値を式に代入して…」
 
サクラの質問にカカシは間髪入れずに答える。
だがサクラにはこの問題の解き方は分かっていた。
分かっていてあえて尋ねた。
 
理由は2つある。
 
カカシはサクラの質問に答えられなかったことがない。
だから、難しそうな問題を探してはカカシを試すように尋ねていた。
講師が「うーん」と唸りながら問題を考える姿はある意味興奮するのだ。(それはサクラがSだからだけども)
 
そしてもう1つの理由はカカシと少しでも長くいるため。
 
サクラは高校3年だから塾に通う日数は残り少ない。
 
その間にカカシの顔、匂い、雰囲気を全て記憶したかったのだ。
 
元より成就する恋ではない。
 
 
それはサクラが一番よく分かっていた。
 
 
 
 
「じゃあ今日の授業はこれまで。宿題はテキストP.20〜25をやってきて」
「分かりました。ありがとうございます」
 
ただこの一瞬を大切にしよう。
 
やがて懐かしく振り返られるように。
 
サクラは胸が痛いのは気のせいだと自分に言い聞かせた。
 
 
 
 
受験も大詰めになった2月。
 
センター試験では難なくボーダーラインを超え、あとは二次試験のみとなった。
サクラは授業とセンター試験の結果報告のために塾を訪れた。
 
「よぉ、センターご苦労さんだったな」
 
扉を開けて最初に声を掛けてきたのは塾長の綱手だ。
 
「いえ、そんなに大変じゃなかったですよ」
 
サクラはVサインしながら答えた。
 
「頼もしい限りだ。お前に関しては私は何の心配もしてないよ。当日風邪を引かなければな」
「気を付けます」
「問題はナルトだ。あいつ、もしかしたら浪人するかもな」
「ナルトですか…」
 
ナルトはサクラと同じ高校に通う同級生だ。
ちなみに苦手科目は英語と国語。
 
「まぁ、まだ時間はあるし、あいつにはたっぷり宿題を出すようにヤマトに言っておくかな」
「ふふ、ナルトの絶望する顔が想像出来ます」
「愛の鞭だ。っと、サクラの席は18番だな」
 
「はい」
 
サクラは18番と書かれた机に向かい、いつものように席に着き授業の準備を始めた。
 
 
「よっ、サクラ」
 
「カ、カカシ先生?」
 
ひょっこり顔を出したカカシにサクラは驚いたように目を見開いた。
 
(ど、どーしよ。まだ心の準備が…)
 
「せ、先生早いですね。まだ授業が始まるまでには時間がありますよ」
 
サクラは内心の動揺を悟られないように話した。
 
「うん、そうなんだけど、センターの結果が気になってね」
 
カカシはいつものように丸椅子に座るとサクラに笑いかけた。
 
(わ、カカシ先生が笑った)
 
「大丈夫ですよ。自己採点の結果はボーダー超えてましたから」
「そっか。安心したよ」
 
カカシは再び口元に笑みを浮かべた。
トクン、と胸が高鳴るのをサクラは感じた。
 
自分の心配をしてくれたという嬉しさと、その心配は担当講師だからであってサクラに特別な感情を抱いて
いるわけではない、という否定する気持ちが交錯して頭の中はぐちゃぐちゃになった。
 
勘違いしてはダメだ。
傷つくだけなんだから。
 
 
「おっと、授業の時間だ。じゃあまずは宿題の確認から」
 
いつものようにカカシが宿題確認を行う。サクラは機械的にノートを見せる。
 
 
その後のことはあまり覚えていない。
 
 
サクラの体を虚無感が包む。
一体どこからこの虚無感はやって来るのだろうか。サクラにも分からない。
 
その日サクラは授業が終わると日課の自習をせずにすぐに帰宅した。
 
 
 
 
 
 
それからサクラは塾の授業を何かと理由をつけては休んだ。
 
自宅で十分な勉強量をこなしていたので受験に支障はなく、あっさりと試験は終わった。
 
結果は、合格。
 
自分の受験番号をネット上で見つけてサクラはホッと息をついた。
嬉しさと同時に寂しさが襲う。
 
サクラは医者志望だ。
志望大学は他県にあるため、寮に入らなくてはいけない。
したがって、カカシに会うことはもうない。
 
(どうしよ…。結果の報告行った方がいいよね)
 
ずっとお世話になってきたのに音信不通のまま別れるなんていくら何でも失礼過ぎる。
 
(でも、今までずっと避けてきてどうやって話そう)
 
悩んだ挙げ句、サクラはカカシがいない時を見計らって塾に行くことにした。
塾長の綱手にだけ結果を伝え、カカシに言付けを頼めばいい。
 
 
 
サクラは次の日、久々に塾へと向かった。
 
扉を開けて最初に声を掛けてきたのはやはり塾長の綱手だった。
 
「サクラか。久々だな」
「はい、色々用事が重なって塾に行けなくて…」
 
サクラは少し目を逸らしながら言った。
 
綱手はサクラのその様子を見て目を細めるが、特に何も言わなかった。
 
「その感じを見ると、結果は良かったようだな」
「無事に受かりました」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
 
照れくさそうにサクラは笑った。
綱手はようやく見たサクラの笑顔にホッと息をついた。
 
「それで、カカシ先生にこの結果を伝えて欲しいんです」
「せっかくだ。自分から伝えた方があいつも喜ぶぞ」
「でも、もう塾に来れる日がなくて…」
「心配するな。今日来てるぞ」
「え?」
 
サクラは綱手の言葉に凍りついた。
 
「もうすぐ授業が終わるからゆっくり報告すると良い」
「え…あ…」
「サクラ?」
 
サクラの様子を訝しんで綱手が顔を覗き込む。
サクラの顔色は青くなっていて、明らかに動揺している。
綱手はサクラの肩に優しく手を置いた。
 
「塾長?」
「サクラ。お前が何故カカシを避けているかは知らんが」
「あ…綱手塾長、気付いていたんですね」
「私を誰だと思ってるんだ?とにかく、後悔だけはするな。いいな?」
 
綱手の強い瞳がサクラを見つめる。
 
サクラは今までの不安がスーッと引いていくのが分かった。
 
今逃げて何になるんだろう?
 
 
後悔するな。
 
後悔したくない。
 
 
 
「はい」
 
サクラは久々に晴れた気持ちだった。
綱手も満足したように、よし、と言った。
 
それからサクラは綱手と話をしながらカカシの授業が終わるのを待った。
たまにカカシと生徒が話す声が聞こえてきて、笑い声が混じっているとサクラの胸が少し痛くなった。
 
(これは嫉妬だ)
 
冷静に自分のことを分析出来る。
 
もうすぐこの痛みともさよならだ。
 
 
 
「サクラ、来てたのか」
 
授業を終えたカカシが顔を出す。
久々に見るカカシは相変わらず変だ。
いつまでも変わらないカカシを見て、サクラは何故かほっとした。
 
「心配したんだぞ。全然授業に来ないから」
「ごめんなさい。でも、ちゃんと受かったから」
 
サクラはブイサインをしてみせた。
 
「良かったな。おめでとう」
 
片目しか見えない目が三日月の形になった。
サクラはようやく合格したという実感が湧いた。
 
今までは受かったと知っても他人ごとのような感じで、大して嬉しさを感じなかった。
だが、カカシの笑みを見て、ようやく嬉しさがこみ上げてきた。
 
(そっか、私受かったんだ)
 
「カカシ先生、今までありがとう」
 
サクラは笑顔で返した。
その笑顔は作ったものではなく、心からのものだ。
 
「じゃあ俺は授業が終わったから帰るよ」
「おう、お疲れ」
 
綱手はカカシに片手を上げながら言った。
 
「あ、待って。私も帰る」
 
カカシの後を追うようにサクラもスリッパを脱いで靴を履く。
 
「綱手室長、ありがとうございました!」
「頑張れよ」
 
 
綱手は意味深にウインクをした。
 
カカシと2人でエレベーターに乗り込む。
短い時間とは言え、密室だ。
自然とサクラの鼓動も早くなる。
 
(そういえば、カカシ先生とエレベーターに一緒に乗るなんて初めてかも)
 
「サクラとエレベーター乗るなんて初めてだな」
 
カカシの声にハッとサクラはカカシの顔を見た。
 
「今私も同じこと考えてた」
「それは気が合うな」
 
 
いつもと変わらないカカシの声音。
 
それはサクラの舞い上がった気持ちをストンと落とした。
 
 
(ああ、そっか)
 
 
サクラは今まで見ないようにしていた現実と向き合った。
 
言葉では言い表せられない直感。
 
それはずっと絶望の対象だったのに、いざ直面してみると思った以上に辛くなかった。
 
エレベーターを下りる。
 
ようやく終わったこの恋。
 
 
 
後始末をしよう。
 
 
「じゃあな、サクラ」
「待って。カカシ先生」
 
サクラの帰路とは反対側に歩こうとしたカカシを呼び止める。
振り向いた顔は、やっぱり格好いい。
 
 
 
「私、ずっと先生のことが好きだったの」
 
「は?」
「じゃあね」
「お、お疲れ」
 
まさしく言い逃げだ。
言われたカカシはポカンとしているが、サクラは気にすることなく歩き出す。
 
不思議と晴れやか。
 
そして心臓の音はいつものリズム。
 
(言っちゃった)
 
自分の感情的な行動に驚きながらも、妙な嬉しさが沸き起こる。
 
(ふふ、先生ったら、あんな間抜けな顔して)
 
今まで隙を見せたことがないカカシが、初めて見せた表情。
 
(ま、あの表情が見れただけでもヨシとするか)
 
サクラは空を見上げた。
 
辺りはすっかり暗くなって夜空には星が輝く。
 
胸は少し痛い。
 
理由は分からない。
 
 
でも、これくらいならきっと桜が咲く頃には治まっているだろう。
 
 
サクラは無性に走りたくなって、思わず駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

少女特有の青春時代の恋の悩み的なことを書きたかったけど、伝わったかな(汗

 

 

 

 

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